『お坊さんが困る仏教の話』

お坊さんがなんで困るかっていうと、
みんなが安直に真理を求めるからです。


お坊さんが困る仏教の話 (新潮新書)

お坊さんが困る仏教の話 (新潮新書)


家事洗濯法律裁判付合慣習論旨一貫で片付けて
これであがり、というふうに進めていこうとしたら、


どうしても、一番大事な哲学の部分は
飛び越して無視されてしまう。


仏教は、
問いに対してちゃんと解答集&解説があって全部正解できたら
100点満点で極楽浄土、という宗教ではないのです。


生涯をかけて自分の想いの底から“悟”った事柄だけが真理、
そういう思想です。



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(以下、斜体部分抜粋しています。正確な記述は本書を参照ください)


・・弟子マールキナッダブッダがある時
「死後の世界はあるのでしょうか」と訊ねたのに対し、
「今飛んできた毒矢に射抜かれたとしよう、その矢を誰が射たのか、
毒の種類は何か、そんなことを調べるより、まず矢を抜くことが大切なのだ」
とお釈迦様は答えたと言われています。焦点をズラしているのです。
・・お釈迦様も正直なところ水掛け論になりそうな問題に関わりたくなかったと
解釈しておきましょう。

(第一章より)


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そのとおり、ズラして答えています。答え(即物的な)が無いからです。


正確に言うならば、
お釈迦様は焦点をズラしごまかして適当に答えている、
というわけではありません、
ズラさず、正面から真摯に答えているのです。


不毛な問答を続けるくらいなら、
わかりにくくても核心の部分から答えたのだろうと思います。


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仏教は今や日本の風俗になっています。


しいて“悟”りをひらく必要はなく、多くの人にとって仏教は、
実生活上は、冠婚葬祭の儀式でしきたりどおりに
型をなぞっていればよいだけの存在なのかもしれません。


とは言っても、
仏教思想が刷り込まれている日本人の精神は、
まだまだとおく息づきそうな気がします。