2007-09-01から1ヶ月間の記事一覧

歎異抄(十二)

経釈をよみ学せざるともがら、 往生不定のよしのこと。 この条、すこぶる不足言の義といひつべし。 他力真実のむねをあかせるもろもろの正教は、 本願を信じ念仏を申さば仏になる。 そのほか、なにの学問かは往生の要なるべきや。 まことに、このことわりに…

歎異抄(十一)

一文不通のともがらの念仏申すにあうて、 「なんぢは誓願不思議を信じて念仏申すか、 また名号不思議を信ずるか」 といひおどろかして、 ふたつの不思議を子細をも分明に いひひらかずして、ひとのこころをまどはすこと。 この条、かへすがへすもこころをと…

歎異抄(十)

念仏には無義をもって義とす。 不可称不可説不可思議のゆゑにと仰せ候ひき。 そもそも、かの御在生のむかし、 おなじこころざしをして、 あゆみを遼遠の洛陽にはげまし、信をひとつにして、 心を当来の報土にかけしともがらは、 同時に御趣意をうけたまはり…

歎異抄(九)

念仏申し候へども、 踊躍歓喜のこころおろそかに候ふこと、 またいそぎ浄土へまゐりたきこころの候はぬは、 いかにと候ふべきことにて候ふやらんと、 申しいれて候ひしかば、 親鸞もこの不審ありつるに、 唯円房おなじこころにてありけり。 よくよく案じみれ…

歎異抄(八)

念仏は行者のために、非行・非善なり。 わがはからひにて行ずるにあらざれば、非行といふ。 わがはからひにてつくる善にもあらざれば、非善といふ。 ひとへに他力にして、自力をはなれたるゆゑに、 行者のためには、非行・非善なりと云々。 参考文献:『浄土…

歎異抄(七)

念仏者は無礙の一道なり。 そのいはれいかんとならば、信心の行者には、 天神・地祇も敬伏し、魔界・外道も障礙することなし。 罪悪も業報を感ずることあたはず、 諸善もおよぶことなきゆゑなりと云々。 参考文献:『浄土真宗聖典』教学伝道研究センター編纂…

歎異抄(六)

専修念仏のともがらの、 わが弟子、ひとの弟子といふ相論の候ふらんこと、 もつてのほかの子細なり。 親鸞は弟子一人ももたず候ふ。 そのゆゑは、 わがはからひにて、ひとに念仏を申させ候はばこそ、 弟子にても候はめ。 弥陀の御もよほしにあづかつて念仏申…

歎異抄(五)

親鸞は父母の教養のためとて、 一返にても念仏申したること、いまだ候はず。 そのゆゑは、 一切の有情はみなもつて世々生々の父母・兄弟なり。 いづれもいづれも、 この順次生に仏に成りてたすけ候ふべきなり。 わがちからにてはげむ善にても候はばこそ、 念…

歎異抄(四)

慈悲に聖道・浄土のかはりめあり。 聖道の慈悲といふは、ものをあはれみ、 かなしみ、はぐくむなり。 しかれども、おもふがごとくたすけとぐること、 きはめてありがたし。 浄土の慈悲といふは、念仏して、いそぎ仏に成りて、 大慈大悲心をもつて、 おもふが…

歎異抄(三)

善人なをもつて往生をとぐ。いはんや悪人をや。 しかるを世のひとつねにいはく、 「悪人なほ往生す。いかにいはんや善人をや」。 この条、一旦そのいはれあるに似たれども、 本願他力の意趣にそむけり。 そのゆゑは、自力作善のひとは、 ひとへに他力をたの…

歎異抄(二)

おのおのの十余箇国のさかひをこへて、 身命をかへりみずして、 たづねきたらしめたまふ御こころざし、 ひとへに往生極楽のみちを問ひきかせんがためなり。 しかるに念仏よりほかに往生のみちをも存知し、 また法文等をもしりたるらんと、 こころにくくおぼ…

歎異抄(一)

弥陀の誓願不思議にたすけられまゐらせて、 往生をばとぐるなりと信じて念仏申さんと おもひたつこころのおこるとき、 すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり。 弥陀の本願には、老少・善悪のひとをえらばれず、 ただ信心を要とすとしるべし。 その…

歎異抄(序)

ひそかに愚案を回らして、ほぼ古今を勘がふるに、 先師の口伝の信心に異なることを嘆き、 後学相続の疑惑あることを思ふに、 幸ひに有縁の知識によらずは、 いかでか易行の一門に入ることを得んや。 まつたく自見の覚悟をもつて、他力の宗旨を乱ることなかれ…