ダンゴムシ現象

私はこれを“ダンゴムシ現象”と呼んでいる。


住みなれた環境が一変するとお尻のすわりが落ち着かないのは、昨日アフリカ大陸から日本の動物園につれてこられた珍獣だけがもつ哀しみではないだろう。


いままでのやり方あらため新しい仕組み、枠組みがあらわれると、光の射し込みぐあいが、痛く爽やかに、まぶしく感じられるものなのである。それまで平穏に暮らしていた我々は、環境の変化に対して、ときに腹が立ってきさえする。


日陰にじっとたたずむ握りこぶし二つ分くらいの大きな石をひっくり返すと、その下から、丸まっていたダンゴムシが迷惑そうにゴソゴソ動き出すのを眺める遊びがあるのを知っていますか(もしかしたら、昼間空き地でこんな遊びをしているのは私だけでしょうか・・)。


物理的に、または制度の上でモノやコトを動かすと、かならずどこからか不満や反発が噴出する。それらの声は、はじめ論理的に聞こえるが、よくよく聞いているとどうやら「居心地が悪い」という訴えである。
このダンゴムシの群れに動転して、即座に石を元どおり戻すのは早計だ。それよりも、誰かが誤って石につまづき、その下のダンゴムシもろとも踏み潰すことのないようあらかじめ石をよけておいた方が、結果的に幸せの総量は大きい。


あわててダンゴムシの機嫌をとり直す必要はないのである。今日空き地で見たダンゴムシでさえ、めいめい、別の心地よい石の下へ居場所を見つけていた。