『生きて行く私』

脈絡なく本を選んでいるつもりでいても、文中で人と人との不思議なつながりに出会い、はっと胸を突かれることがあります。その時々、無意識のうちに縁の通ったものを選んでいるのかもしれません。


食べ物のうんちく話が読みたいという食意地から選んで面白かった、『悪女の美食術』福田和也著。知人にこの本の話をしたら、福田和也さんの別の著書『悪の対話術』を紹介していただきました。


さっそく読んでみると「宇野千代さんの『生きて行く私』をご一読ください」、文脈なりゆき上という感じでさらりと紹介してある。



生きて行く私 (角川文庫)

生きて行く私 (角川文庫)



そうかそうか、では読んでみようと『生きて行く私』を手にとってみると、宇野千代さんが川端康成さんとの交流について言及している。


おや、これは、最近読んだ『おそめ』の上羽秀さんのお話にも出てきたではないか・・。


つながっていたということと、その軌跡を自分の意志や知人からの紹介など偶然によって、意外な本で知る瞬間というのは、感慨深いものがあります。


そもそも、店頭で華々しく平積みされていた『悪女の美食術』と、一冊ひっそり棚に収まっていた『おそめ』は、仕事で移動中、小さな駅中の小さな本屋さんで時間の無い中ぱっと、毛色の違った読み物を組み合わせて買ったものだったのに、どこかでちゃんとつながっている。いやむしろ、かなりダイレクトにつながっていた。


こんなすとんと落ちるような読書体験は、今までに何度かあり、そのたびに、どうしてこの本とこの本を選んだのだろう?どうしてこの順番で読んだのだろう?まったくの偶発事故的な理由で、なんの意図もなく手にした本なのに・・。


そんなとき、まるで自分も筆者達と同じ時代や時間や空間を共有する権利があって、彼らのサロンに迎え入れられたような、心がもわーと浮き立つような充足を覚えるのです。